日米大学野球を戦いそのままロサンゼルス五輪に参加した
五輪でも米国には勝てるわけがない――。それどころか、アジア予選で敗れた台湾には郭泰源(後に西武)、韓国には宣銅烈(後に中日)というエースがいる。日本はキューバのボイコットにより、繰り上げ出場が決まった補欠国という位置付け。急きょ代表チームを編成するなど、準備不足は否めなかった。大学生で選ばれた7人は、帰国するチームメートを見送り、ロサンゼルスへ向かったが、残留組のモチベーションはそれほど高くなかった。
■開会式には出ずに練習試合
選手村では金メダルを取った柔道の山下泰裕さんと写真を撮るなど、五輪を楽しもうと思ったが、心残りは開会式に出られなかったことだ。スパルタ式の松永怜一監督が「開会式なんか出ないでいい」と宣言し、当日は練習試合を行っていた。せっかく五輪に出場したのに、宇宙飛行士がロケットベルトを使って会場に降り立つ「ロケットマン」が見られなかったのは残念だった。
戦前の予想に反し、日本は2勝1敗で予選リーグを1位で通過する。準決勝は郭泰源を擁する台湾に、延長十回の末、2―1でサヨナラ勝ちを収めた。決勝はあの米国だ。日米大学野球の7試合で強さは肌で感じていた。もちろん勝ちたかったが、正直なところ、銀メダルで上出来だと思った。まさか、「日本に帰りたい」と漏らし、ここまで不振だった明大の広沢克己(現・克実)が、最後に大爆発するとは思わなかった。