千代ノ皇は名横綱・千代の富士の薫陶を受けた与論島初の関取
30歳・九重部屋・前頭14枚目
ケガさえなければ、今後も関取として活躍できるともっぱらだ。
角界初の与論島出身関取。与論島は相撲が盛んな地として知られ、各小学校に土俵があり、校内相撲大会も行われている。千代ノ皇も母校の茶花小学校で6年連続学年優勝している。
中学まで地元与論島で育ち、沖縄県の中部農林高校に進学。全国トップレベルの成績は残せなかったが、母子家庭で「親孝行がしたい」という千代ノ皇は迷わず高卒でプロ入りの道を目指した。
「高校の相撲部監督と先代九重親方である千代の富士(故人)が知り合いだったそうで、その縁で九重部屋に入門した。あの部屋はヤンチャな力士が多く、おっとりした性格の千代ノ皇は目立たない存在。ただ、地道に努力するタイプですからね。そこは千代の富士の指導もかみ合ったのではないか。あの人は一見コワモテだが、稽古は理詰め。力士には自分で感じている欠点などをノートに書かせ、それを克服するにはどんな稽古をすればいいのか? とまず自分で考えさせる。九重部屋で中卒、高卒の叩き上げが次々に幕内に昇進していたのも、そうした指導あってのものでしょう」(タニマチ筋)