北京五輪での反町ジャパンは本田圭佑に命運を託すべきだった
長友はサイドバックとして無尽蔵のスタミナを誇り、左サイドをエネルギッシュに上下動。2次予選突破を決めた後のマレーシア戦に起用されるとダイビングヘッドから先制点を決めた。
当時の五輪代表の主力は、あくまでJリーガーだったが、そこに割って入ってきた大学勢の代表格が本田拓や長友だった。
本人たちの不断の努力は言うまでもないが、五輪本大会までの期間が長かったことでアピールに成功したと言える。
後者を代表する選手としては、MFの本田圭祐と水野晃樹が挙げられる
同じ2008年1月に本田圭はオランダのVVVフェンロへ、水野はスコットランドの名門セルティックへ移籍した。
この本田圭と水野については後述したい。
そもそも反町ジャパンは、北京五輪で2人のオーバーエージ(OA)枠を想定していた。
反町監督がターゲットにしていたのはG大阪のMF遠藤保仁、スペインのマジョルカから神戸に移籍したFW大久保嘉人だった。