東京五輪の“学芸会”開閉会式は日本のダサさと思考停止ぶりを世界に知らしめた
1つの国や都市が自弁でやろうとするから無理が出るし、広告代理店が業務を仲介することでどんどん焦点がぼやける。“知”と“芸術”の薫りのないショーとなり、スポーツの祭典たるオリンピックの本質からずれていくのだ。
そもそも大会のためにいちいちスタジアムを建設していたら、億単位のカネが簡単に消えてしまう。ならばいっそのこと開催地をオリンピック発祥の地であるギリシャのアテネに固定してはどうか。“幹事役”は持ち回りとしてもカネはIOC加盟各国が同等に負担し共催にすればいい。それなら負担が1国に集中せず、無駄な経費もかからない。
出場するアスリートも、場所が一定ならコンディションを整えやすいだろう。アテネで共催と決めることで近代オリンピズムの精神に回帰できるし、おのずと“コンパクトなオリンピック”が実現すると思う。
■五輪その国の“芸術力”のショーウインドーでもある
今回は閉会式で「天皇も参加する〇×クイズ」の演出案があったという週刊文春の記事には心底あきれたが、それがなくてもあの支離滅裂な学芸会は日本のダサさと思考停止ぶりを世界に知らしめてしまった。