広島1位・黒原拓未の母は毎朝4時から弁当用に3合のご飯を炊いた
30歳すぎて長男が生まれたため、和男さんは家族サービスのために少年野球から距離を置いた。翌年に次男、その4年後に黒原を授かった。
次男が小学2年から、かつて所属した日方スポーツ少年団で野球を始めたことでチームに戻り、監督に就任。同年に長男も入団した。物心がついたころから母に連れられて兄2人のプレーを見ていた黒原が野球をするのは既定路線かに見えたが、「小学生に上がる時に『野球もいいけど、サッカーもやってみたい』と言い出したんです」と、パートで介護士をする母・千晶さん(56)がこう言う。
「私としては野球をしてほしかった。送り迎えの都合もありますし。だから『迷ってるのなら野球でええんちゃう?』『お兄ちゃんもおるし、心強いよ』と(笑い)」
一時は気持ちが揺らいだものの、母の「導き」で野球を選択。小学3年時に少しだけ投手を経験したが、本格的に投げ始めたのは中学2年になってから。それでも「直球は遅いけど、カーブが良かったらしい」(和男さん)と、智弁和歌山高から声が掛かった。長年、少年野球に携わった和男さんが言う。