張本勲サンモニ降板で“普通のスポーツコーナー”に…「喝」なきTBSに打開策はあるか?
日曜の朝TBS系サンデーモーニング「週刊御意見番」の喝あっぱれ係が上原浩治に代わったら、普通のスポーツコーナーになっちまった。彼は「なるべく喝を出したくない」と言ったそうだ。そりゃそうだろう。
そもそも……「喝」とは禅問答。千日どうたら行を乗り越えて生き仏になった高僧に若い僧がお経の解釈を挑みかかり、コテンパンにやり返され、修行が足らん! と打ちのめされる際に生き仏様から発せられるのが「喝」なのだ(知らんかったろ? オレも知らんかった)。
「喝」を入れるにゃ、その世界で彼と我の間に圧倒的な差がなければ成り立たんのだ。たかが運動娯楽の話題に「喝」を入れるとはたいそうなことだが、いつもニコニコ泰然自若、日だまりの縁側で鼻風船を膨らましてる風貌の大沢啓二親分が、これは誰が見ても修行が足りん、という筋肉どもの失態に「喝」を入れたから愛嬌があったのだ。
大沢亡き後、生臭坊主の張本勲が「喝!」を乱発しはじめた時点で軌道修正すればよかったものを、「ジジイのための趣味の茶話会」を懐かしむ良識的なリベラルジジイどもが張本の偏狭と古くささをうさんくさいと反発する。ジジイ同士が互いの尻尾を追い掛け回すさまを、ネット配信する活字メディアが面白がって火に油を注いだ。TBSはそれをゼニ儲けの手段としてずっと放置し続けたのだ。