荒篤山太郎は南国フィリピンから来た遅咲きの突き押し力士
28歳・荒汐部屋・前頭16枚目
長い下積みを経て、ようやく開花した。
日本人の父とフィリピン人の母を持つ。両親は日本で仕事をしており、荒篤山は小学校卒業までフィリピンの母方の実家で育った。中学に上がるタイミングで妹が生まれたこともあり、来日し、晴れて両親と暮らすことがかなった。
「小学生時代は年に1度か2度しか両親に会えず、寂しい思いもあったはず。幼少期は飛行機が大好きで、よく祖母にねだって飛行場に連れていってもらっていたそうです。もしかしたら、あの飛行機に乗って、お父さんお母さんが……と思いを馳せたこともあったのかもしれません」(角界関係者)
横浜市立十日市場中学校では「クラスメートが多く入部していたから」という理由で野球部に所属。しかし、当初は日本語がほとんどしゃべれず苦労も多かった。中学卒業後は父の勧めで角界入りを決意。とはいえ、父も相撲界にツテがあったわけではなく、相撲部屋の連絡先をネットで調べ、さまざまな部屋に我が子の入門をお願いした。
「その中で応答が丁寧かつ迅速だったのが荒汐部屋。荒篤山も体験入門で先輩力士から親切にしてもらったこともあり、入門を決めた。ただ、親が角界入りを勧めたのは『教育』の面もあったそうです。荒篤山はフィリピンで育ったこともあり、日本人ならではの最低限の礼儀や敬語も身に付いていなかった。『このままでは将来困るだろう』という親心もあり、ならば角界で教育を……というわけです」(前出の関係者)