怪物はもう出ない…佐々木朗希の登板回避問題が変えたもの「甲子園と令和の怪物」著者が語る
「高校野球のお手本」だったチームが1年で非難の対象に
──佐々木の登板回避は、高校野球界において大きなターニングポイントになりましたか?
「それ以前から球数制限(現在は1週間に500球以内)が議論されるなど、球児の体を守るための土壌が生まれつつあったのは確かです。でも、佐々木の登板回避から、明らかに甲子園は変わりました」
──具体的にはどのような?
「準々決勝、準決勝など日程が詰まった時に、監督がエースを登板回避させる決断を下しやすくなりました。さらに、ひとりの投手に無理をさせることを世論が許さないムードも形成された。去年のセンバツでは天理(奈良)のエース・達孝太(現日本ハム)が3試合で161球、134球、164球を投げましたが、試合終盤ではメディアを含め、球場全体に『まだ投げさせるのかよ』という空気が漂っていた。今年のセンバツでも浦和学院(埼玉)のエース・宮城誇南(3年)が準々決勝までの3試合に先発。しかし、近江(滋賀)との準決勝では森大監督は宮城を起用せず、敗れた。準々決勝の夜に森監督はナイン全員の前で、『準決勝は宮城を投げさせない』と宣言した。これはナインへの説明が不足していた国保監督を反面教師にしたのではないか」
──19年夏の甲子園に出場した鳴門(徳島)は、エースひとりで投げたことが非難された。
「県大会5試合、甲子園2試合で963球を投げたことで、森脇監督が大手メディアから『なぜひとりに投げさせたのか』と追及されました。でも、その1年前の夏の甲子園では、金足農(秋田)の吉田輝星(現日本ハム)が県大会からひとりで投げ抜いて準優勝。高野連の八田会長(当時)は閉会式で『高校野球のお手本のようなチーム』と絶賛していた。それがたった1年で非難の対象となってしまったのです」
──いよいよ「怪物」投手は出てきませんね。
「ひとりで投げ抜く怪物はもう出てこないでしょう。そして、今の甲子園はエースひとりの力だけでは勝てなくなっているのも事実です」