Jリーグを作った男「即断即決のできるリーダー」森ケンさんを悼む
考えてみれば番組のスポンサーは「三菱グループ」だし、両大会の決勝戦に人工芝のグラウンドを提供したのも1975年に完成した「三菱養和会スポーツクラブ」だった。
サッカーを始めとして体操クラブやスイミングスクールなど、時代を先取りした総合スポーツクラブを創設したのが森ケンさんだった。
ちなみにサッカー関係者は、森健児さんのことを「森ケンさん」と呼ぶ。なぜかというと実弟に早稲田大学時代は釜本邦茂氏と同期で天皇杯を制し、1968年メキシコ五輪では銅メダルを獲得して1985年には加藤久さんや木村和司さんらを率いて1986年メキシコW杯予選を戦った日本代表の監督・森孝慈さん(2011年7月に他界)がいるからである。
そこで兄は「森ケンさん」、弟は「森チンさん」とニックネームで呼ばれるようになった。
8月24日、森ケンさんが肝細胞癌のために帰らぬ人となった。
1985年に日本サッカーリーグ(JSL)の総務主事になるとJSLのプロ化=Jリーグ創設の礎を築いた。プロ化の2年前・1991年にJリーグの専務理事に就き、1998年から2002年まで日本サッカー協会(JFA)の専務理事を務めた。