北口榛花のやり投げ人生を変えたチェコ留学 始まりは1枚の名刺、言葉の壁“必笑”エピソード
チェコ語はほぼ独学
最初はインスタのDMを使って英語でやりとりしていたんですが、会いに行ったら、(デービッドは)全然英語がしゃべれないから、何の詐欺かと思いました(笑)。あのメッセージはコーチの息子さんが書いていたのか、グーグル(翻訳)で書いていたのか……。
いつもバリバリの英語で返してくるなと思っていたのに、いざ会ってみたら必ず誰かと一緒にいて、チームメートとか(デービッドの)息子さんとか、その人たちに全部、会話の内容を聞かせるんです。あの英語は何だったんだ……と衝撃を受けました。
それがきっかけでチェコ語を勉強したのもあるんですが、チームメートとご飯に行ったとき、「日本」という単語が出たり私に時々目線が来たり、明らかに私の話をしているのに内容が分からない。良いことを言われているのか、悪いことを言われているのか気になって、とにかく内容が知りたかった。
■知っている単語をクイズのように並び替え
最初は大使館が主催するチェコ語のセミナーにちょっとだけ通いました。そこでアルファベットの読み方は知ることができました。でも、夜8時スタートなので練習や試合があると疲れちゃって受けられる状態じゃなくなってしまった。
なので、それ以外はほぼ独学。デービッドに言われた単語を聞き取って、その中で知っている単語が3つくらい出てきたら、クイズみたいな感じで並び替えながら会話していたのです。
19年にチェコに渡り、1年半くらいでデービッドに注意されている内容が分かるようになり、今ではやり投げのことならほぼ理解できます。
突然、チームメート同士で政治とかの話をされるとさすがに分かりませんけど。日本にいるときはまず(チェコ語を)使わない。メッセージでのやりとりでは使いますが、どうしても衰えちゃいますね。
(チェコでの始動は)年明けを予定しています、デービッドの気が変わらなければ(笑)。「家族は大事に」と言ってくれていますし、メールでも「クリスマスも家族で過ごしてね」と返してくれました。
でも、「私はクリスマスより(日本で)年越しがしたい!」と伝えておきました(笑)。
▽北口榛花(きたぐち・はるか) 1998年3月16日、北海道旭川市出身。3歳のときに水泳を始める。東京五輪で57年ぶりのやり投げ種目決勝進出。世界陸上で3位となり、投てき種目で日本女子史上初となるメダルを獲得する。父は旭川市内のホテルで製菓料理長を務めるパティシエ。母は元バスケットボール実業団選手。179センチ、86キロ。