株式会社GSL社長 小野剛(3)原発事故による風評被害に心を痛め、巨人原監督と阿部ヘッドをイベントに呼んだ
■涌井からのプレゼントに涙が…
「楢葉町(福島)の少年野球チーム・楢葉イーグルスは震災翌日に新チーム初の公式戦を控えていた。野球を奪われた子供たちにどうにかプレーしてもらいたかった。近隣の状況を調べ、会津若松市の大会に出場できることになった。これには、中日の涌井秀章(36=当時西武)の協力が不可欠でした。涌井に思いを伝えると、すぐさま人数分のユニホームやグラブ、バットなどを手配してくれた。チームが初戦を突破したときは……。さすがに涙がこぼれました」
原発事故による風評被害にも心を痛めた。福島県などで生産された食品に対し、全国で不買運動が起きたことに我慢できなかった。
巨人時代にお世話になった原辰徳監督(64)や当時現役選手だった同期入団の阿部慎之助ヘッド兼バッテリーコーチ(43)らに声をかけ、食の安全を訴えるイベントを多数開催。「協力してくれた原監督や阿部コーチには今でも頭が上がりません」と小野氏がこう続ける。
「それから程なく、人に頼るだけではなく自分でもできることはと考え、米穀商の資格を取りました。米が売れないなら、オレが売ると。はじめはなかなか売れませんでしたが、徐々に受け入れてもらえるようになった。すると、福島のブランド豚である麓山高原豚を何とかしてくれという依頼があり、すぐに東京・世田谷に麓山高原豚の専門店をオープンしました」