大谷翔平は「最高級品」ゆえのオール特別待遇だった 決勝戦リリーフ登板は本人がエ軍に“直談判”
代表合流日を巡る顛末
代表合流日についても紆余曲折があった。栗山監督は宮崎合宿からの合流を求めていたが、WBCの大会ルールでメジャー選手は大阪での強化試合からしか出場できなかった。宮崎合宿から参加するには、故障した際の損害保険に加入し、その年の年俸を所属先の球団に補償する必要があった。NPBは大谷のために、数千万円ともいわれる費用を準備。結果的にエンゼルスと大谷が合宿期間中は米国で調整を進めたいとの意向を示したことで、合宿招集を断念。中日との壮行試合が行われた名古屋滞在中の3月3日に代表へ合流することになった。
「侍ジャパンとしては高いチケットを買ってくれたファンと、巨額の広告料を払っているスポンサー、グッズの売り上げなどを勘案し、WBC管轄になる大阪での強化試合前、侍ジャパンとしての活動中の合流を希望していた。試合には出られないが、打撃練習だけでも披露してくれれば格好がつく。大谷もこれを快諾、日本時間2日に予定されていたオープン戦の登板日を1日前倒しして帰国。4日にフリー打撃を披露し、規格外の打球を飛ばしてファンとスポンサーを大喜びさせたといいます」(メディア関係者)
侍ジャパンを運営するNPBも、大谷への配慮を欠かさなかった。
宿舎でトラブルがあったら困ると、大谷の部屋の隣には代表を担当する旅行会社の責任者が常駐。チームが移動する際にはユニクロのオフィシャルスーツでなく、大谷のスポンサーである「ヒューゴ・ボス」の着用を認めた。
「大谷が抱えるスポンサーの多くは、WBCのオフィシャルスポンサー。東京ラウンドには大谷の代理人であるネズ・バレロ氏も帯同していて、主催者のWBCIは大谷にかなり気を使っていました。試合では、メディアの要望を受けてヒーローインタビューや記者会見の人選が行われていましたが、WBCI関係者は『連日、大谷選手を要望されても困る。本人の負担にならないようにしたい』と言っていた。それだけ大谷を大事な商品だと考えていたからです。ただでさえWBCに出ることは負担が大きいのに、コンディションを崩してケガでもしたら大問題。大谷自身も取材を断ったり、嫌がるケースもあったし、騒ぎになるのが嫌で新幹線でのチーム移動に難色を示したこともあるそうですが、チームが勝ち続けてテンションが上がったのか、メディアの取材にも協力的になっていきました」(代表関係者)
大会史上最高の盛り上がりとなった裏には、大谷はもちろん、関係者の努力と苦労があったのだ。 (つづく)