元広島投手の川端順氏が北別府学さんを悼む 十八番の「『アメリカ橋』と『心凍らせて』をハモってくれと言われ…
試合中のイニング間のキャッチボールも、普通は「肩慣らし」で投げることが多い。でも、北別府さんはその日の調子が悪い変化球を全力で投げる。「感覚を取り戻すために使いたいから」と話していた。そういう心構えを含め、カープの投手陣はみんな北別府さんのマネをした。
私が3年目だった86年、右肘を痛めて二軍で調整していた時、一軍の遠征に帯同しない居残り投手組だった北別府さんと大野練習場で一緒になった。すると、北別府さんは私にこう言った。
「今晩7時半に寮の玄関にいろよ」
約束の時間に行ってみると、釣り竿を2本持った北別府さんが「付き合えよ」と言うではないか。
大野寮の目の前は海。鹿児島出身で釣りが好きな北別府さんと徳島出身で心得のある私は、2人で釣り糸をたらしながら、肘が痛くて思うように投げれられないグチを、門限の夜10時まで聞いてもらった。季節はちょうど今頃だった。「ボウズ」だった私をしり目に、メバルをバンバン釣り上げながら、北別府さんはこう言った。
「川端よ、去年一軍で投げて新人王を取れたのは良かった。だけどな、プロで長く投げたけりゃ、オフの間にしっかり体の手入れをしないといかんぞ」