【ボートレース】工藤一彦さん(上)先に始めたのは競輪だが、やり始めたらボートははるかに面白い
「高校四天王」「土浦の怪童」「霞ケ浦の江川卓」。そう呼ばれた男がいる。阪神タイガースOBで猛虎日本一戦士の工藤一彦さん(67)だ。球界では数少ないボートファン。古巣の岡田阪神にエールを送りつつ、ボートレースの魅力を伝えようとペンをとった。
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まず最初にタイガースについて触れたい。18年ぶりのリーグ優勝と38年ぶりの日本一。1985年に神宮、西武球場で吉田義男監督を宙に押し上げた記憶が岡田監督の胴上げシーンにオーバーラップし、思わずもらい泣きしてしまった。テレビに映る大はしゃぎのビールかけも、本当に懐かしく見させてもらった。
15年ぶりに古巣に復帰した岡田監督が選手の野球脳にメスを入れ、タイガースの野球を変えたことがすべてだろう。指揮官としてベンチでどっしりと構え、プレーや戦況をじっと見る。これは選手に安心感を与え「この監督についていけば優勝できるぞ」という信頼感も生まれたはずだ。
ひとつ年下の岡田監督とは野球だけではなく、一緒に酒を飲んだりマージャンをやったりした。OBが営む甲子園球場近くの居酒屋にはよく通ったが、岡田監督はまさに野球小僧。まだ現役なのに「オレが監督なら」とグラスを片手に用兵や戦術、駆け引きなどのオカダ野球を熱く語っていた。心底から野球が好きで、本当に野球をよく知る男。今シーズンの快進撃も何ら不思議ではなかった。
さて、本題のボートレースについて書こう。現役時代から公営競技をたしなんできたけど、先に遊んだのはボートより競輪だった。
当時は甲子園球場から南へ5分ほど歩いたところに甲子園競輪場があった(2002年廃止)。オフになるとなじみの喫茶店「N」に、息子さんが競輪選手だった島野育夫コーチ、弟のようにかわいがってくれた佐野仙好外野手、投球術を教えてくれた渡辺省三スカウトら競輪好きが集まってその日のレースを予想する。
体が大きかったボクは「ぞう」というニックネームで呼ばれていた。ある日、佐野さんが「ぞう、ついてこい」と言う。玄人のみんなに比べて、ボクは全くの素人。ギャンブルにうとい選手はよく自分の背番号で買っていたから、ボクはいつも②⑥の1点買いだった。