外国出身初の横綱・曙さん死去 相撲道追究した栄光と挫折
曙さんは2011年10月の日刊ゲンダイの連載コラム「私の秘蔵写真」に登場。「若乃花と貴乃花がいなかったら、自分はあれほど早く横綱になれなかったと思う」と話していたが、大相撲ジャーナル編集長の長山聡氏は「それは若貴兄弟にとっても同じことです」と、こう話す。
「曙さんがいなかったら、彼ら兄弟横綱も果たして誕生していたかどうか。長い腕を生かした突っ張りで、並み居る力士を吹っ飛ばしていた。当時の力士はみな、そんな曙さんを倒そうと切磋琢磨した。曙さんは相撲道への理解や後進の育成にも熱心でした。特に行司の28代目木村庄之助に師事し、『相撲とは何か』を教わっていました。『横綱は後進を育てるのも役目』と言われ、巡業では若手などに稽古をつけていたのが思い出されます。本当に素晴らしい横綱でした」
曙さんは横綱に昇進した96年に、日本に帰化。当初は親方として力士を育成する気持ちが強かったようだが……。
角界OBが言う。
「01年に引退し、03年までは曙親方として東関部屋で指導をしていた。横綱は引退して5年間はしこ名で親方として協会にいられるからね。ただ、自身の結婚に反対した後援会が解散した影響が大きかった。当時の親方株は億を超える値段。年収1000万円超の親方業だけでは、到底5年間では貯められない。そうした時に頼りになるのが後援会だが、それもない。格闘技の世界に飛び込んだのは、『このまま協会に残っても自分に未来はない』と思ったからではないか」(前出の角界OB)