女子ラグビー原わか花 テレビ中継を目にして「コレだ!」 すぐさま強豪校に資料請求、競技人生の幕が開いた
「資料が届くよりも先に、母の元へ磯谷竜也監督から連絡があったんです。『ラグビーに興味があるんですか』と。母にとっては寝耳に水。『アンタ! ちょっとこのメールなに!?』って(笑)」
両親は当初こそ面食らっていたものの、反対することはなかった。むしろ、自ら行動を起こした娘の気持ちを尊重。バレーボール部を引退した3年夏は家族で島根まで車を飛ばし、石見智翠館の見学に訪れた。
現地は自然に囲まれていて、ラグビーに打ち込むにはもってこいの環境だ。両親の後押しもあり、志望校が決まった。入学までトントン拍子で進み、新潟県を離れて寮生活を送ることになった。
原の新たな門出は友人やバレー部の顧問、親戚、ご近所さんにも知れわたり、多くの応援メッセージが寄せられたという。ところが、ただひとりだけ、ラグビー留学を隠していた人物がいる。実家から車で15分ほどのところに住む父方の祖父だ。
「ちょっと昭和的な考え方をする人だったので、女子の私がラグビーをすることに反対するかも……と。両親とも話し合い、祖父にはバレーを続けていることにしました」 (つづく)
▽原わか花(はら・わかば) 2000年1月6日、新潟県新潟市生まれ。石見智翠館高(島根)でラグビーを始め、3年時に日本代表入り。慶大に進むと、学校の体育会には所属せずに東京山九フェニックスに入団。21年東京五輪に出場した。好きな食べ物は新潟県の特産品であるサーモンの塩辛と白米。