女子レスリング金 元木咲良 大会前は重圧でメンタル崩壊、ついこぼした「絶対に言ってはいけないこと」
妹には「出たくない」と吐露していました
──重圧に押し潰されかけた。
「妹(日陽里=育英大レスリング部)と一緒に住んで、話を聞いてもらってから楽になりました。妹に苦しい胸の内を話しても、肯定も否定もせずに『ああ、そうなんだ。じゃあ、私が代わりに出ていい?』とか。絶対に言ってはいけないことですが『出たくない』とこぼしていました。負けて情けない姿をさらすぐらいなら、出たくないなと。特に(今年4月の)アジア選手権はアイスルー選手に負けてしまったので、落ち込みましたね。パリ五輪まで3カ月しかなくて、アジア選手権は本気で勝とうと思い、対策もしていたし、練習したつもりでしたけど、やられてしまって。絶対に勝てないのか、どうしようと。練習する気が起きないこともありました」
──連覇を確実視された50キロ級の須崎優衣が初戦で敗れたことは影響しませんでしたか?
「優衣さんには日頃からよくしていただいて、選手村でも同部屋でした。優衣さんが朝、試合会場に向かう時に『いい流れになるように頑張ってくるね』と言っていたので、負けたと知った時はショックでした」
──本人も相当、落胆していたのではないですか?
「日本の練習場で昼間に会った時は落ち込んでいる様子でした。体重を落とし終えてから、夜に部屋に戻ってからは明るく接して下さったので、本当にすごい方だなと思いました。恐らく、私の試合があるので、優衣さんは気を使って明るく振る舞ってくれたのだと思います。私の試合の日は『自分の力を出し切れないというのが一番、後悔するから、しっかりと自分の力を出し切れるように頑張ってきてね』と送り出してくれました」
──選手村は不評でしたが、実際はどうでしたか?
「それほど不便は感じませんでした。自分が入村した時は空気清浄機のような小さいエアコンが置いてあったので、快適に過ごせました。ただ、夜の9時ごろまで外が明るく、カーテンもなかったので、寝付くまで苦労しました(笑)。減量があるので食事はジャパンハウスで和食ばかり。試合が終わった日に初めて選手村でピザを食べました」
──28年ロサンゼルス五輪での連覇も期待される。
「ロス五輪は簡単に出場できるとは思っていません。まずは大好きなレスリングを楽しみたいです。これまで、きつかったので、終わった後はやり切った感じになるのかなと思ったけど、終わった瞬間に、アイスルー選手と対戦したい気持ちが湧いてきました。この1年間は、アイスルー選手に勝つために手技も磨いたし、準決勝の試合内容も、まだまだ伸びしろのある内容だったと思います。この1年間はやらなければいけないことだけをやっていたので、楽しくなかった。金メダルを取って、ようやく楽しくレスリングができるという気持ちになった。楽しみながらやってロスまで続けるとは言い切れないけど、まだやめるつもりはないです。ロスは今後の状態次第で目指したいです」
(聞き手=近藤浩章/日刊ゲンダイ)
▽元木咲良(もとき・さくら) 2002年2月20日生まれ。22歳。埼玉県和光市出身。埼玉栄高校から育英大学(群馬県高崎市)に進学し、22年世界選手権(セルビア)で銅メダル(59キロ級)。同年末の全日本選手権では準決勝で東京大会62キロ級金の川井友香子、世界選手権金の尾崎野乃香(パリ五輪68キロ級銅)を撃破して優勝した。23年の世界選手権(セルビア)で準優勝し、パリ五輪出場を決めた。父・康年さんは00年シドニー大会グレコローマンスタイル63キロ級代表。