《馬原孝浩の巻》守護神抜擢は二軍コーチのファインプレー…勝利の方程式「SBM」ではリーダー格
当時、ホークスは通称「SBM」と呼ばれる勝利の方程式がありました。摂津正、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原のリリーフ3人の頭文字であり、ソフトバンクモバイルのもじりでもある。この3人のリーダー格だったのが、実は馬原なんです。
後輩からも慕われており、特に摂津にとっては「プロとはどういうものか」を教わった恩人のような存在です。敬愛する気持ちが強いあまり、こんな“事件”もありました。
11年の中日との日本シリーズ、最終戦で胴上げ投手になったのは抑えの馬原ではなく、先発転向1年目で14勝を挙げ、優勝に大きく貢献した摂津。秋山監督があえて馬原を使わず、最終回を摂津に託したからでした。
しかし、日本一が決まっても摂津はニコリともせず、試合後はテレビ局の取材を「出たくない」と拒否。口を閉ざす摂津に、僕は「俺さ、神様じゃないけん、何でもわかるわけじゃない。せめて、なんでダメなのか教えてくれ」と言いました。
すると摂津は「あそこは僕が投げる場面じゃなかった。日本一でも、今はそういう気分になれません」と胸の内を吐露。つまり、尊敬する馬原の役割を奪ってしまったことに納得いかず、思い悩んでいたのです。
そこで「先発・摂津としてなら話すが、胴上げ投手・摂津としてはしゃべらない」と提案、テレビ局の幹事に連絡をしました。その幹事も即座に「それでいきましょう」と快諾したのだから、この決断もなかなか凄い。
この流れで次回は摂津の話をしましょう。