《井口資仁の巻》ルーキーイヤーで雁の巣球場の最多観客動員記録を作ったスター性
井口資仁
青学大4年時の1996年はアトランタ五輪の日本代表に選ばれ、3年時の年間12本塁打、大学通算24本塁打はいまだ東都大学記録として名を残す井口資仁(49=前ロッテ監督)。
96年のドラフト直後に話す機会がありましたが、井口が最初に言ったのは「僕、バッティングに自信がないんです」という言葉でした。
「え? 大学で新記録作ったやん」と驚く僕に、井口は「たまたまです。でも、守備には自信があるんで、僕のことは『守備の人』って見てください」と言う。謙遜でも何でもなく、本当にそう思っていたんです。
確かに当初の井口は打撃にムラがあり、そこまで打席に凄さは感じなかった。それでもバットに当たったら右方向への打球が異様に飛ぶ、というのが僕の印象でした。
驚いたのはそのスター性です。当時使用していた雁の巣球場の二軍戦における、最多観客動員記録を作ったこともある。1年目はオープン戦で右足首を故障し、二軍スタート。プロデビューの二軍戦では逆指名ドラ1の井口を見ようと、ファンが殺到しました。ネット裏から順番に詰めていき、普段は使わないバックスクリーンの横までお客さんが入ったほどです。しかも、その年は5月に一軍に上がるなり、1試合目で満塁ホームランをかっ飛ばしたのだから、まさに生まれ持ったスター性でしょう。