《山内孝徳の巻》“ヒゲのエース”が直立不動の僕に語ったコントロールの極意

僕がプロ入りした1987年、南海には2人の「山内」がいました。
ひとりは速球派の山内和宏さん。そして「ヒゲのエース」こと、制球力に優れた山内孝徳さん(68)です。僕の新人時代、二軍の中百舌鳥球場のブルペンに向かうと、孝さんが投げていました。一軍選手でも、遠征で投げない先…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り810文字/全文951文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】