著者のコラム一覧
野田康文近代文学研究者

1970年、佐賀県生まれ。著書に「大岡昇平の創作方法」。「KAWADE道の手帖 吉田健一」「エオンタ/自然の子供 金井美恵子自選短篇集」などの論考や解説も手掛ける。

絶対正しいと思う時ほど“都合のいいもの”しか見ていない

公開日: 更新日:

「D坂の殺人事件」江戸川乱歩著

 昨年は谷崎潤一郎だけでなく、江戸川乱歩の没後50年でもあった。純文学の大谷崎に対して、大乱歩と呼ばれたように、まさに探偵小説(推理小説)界の文豪だ。推理小説といっても、ただの謎解きゲームに終わらず、人間研究にもなっているのが乱歩作品の魅力。中でも「D坂の殺人事件」は、かの名探偵・明智小五郎が初めて登場し、乱歩にプロの作家として歩むことを決意させた自信作のひとつだ。

 東京のD坂にある古本屋で、美人の女房がある夜、主人のいない店番中に絞殺された。さまざまな状況証拠や証言にもかかわらず、警察の捜査は行き詰まるが、ともに遺体の第一発見者でもある「私」と明智小五郎という2人の男が、別々に推理を働かせ、事件の真相に迫っていく。

「私」は犯人の服の色に関する正反対の矛盾する証言の謎を論理的に解くことで、推論を組み立てる。それに対して明智は、「私」や警察が気にも留めなかった女の生傷に関するウエートレスの噂や古本屋の主人の話から、「人の心の奥底」へと分け入っていく。

 一見、「私」の推理の方が論理的だが、軍配は明智に上がる。明智は自分の推理は「心理的」で、「私」のそれは「物質的」と述べるが、実は両者にはもっと根本的な違いがあるのだ。

「私」は、当時はエリートの工業学校の学生の証言、新聞記者を通じて知り得た警察の情報など、一般により客観的と見えるデータを重視し、無意識にそれにあてはまる情報を集めている。片や明智は、人間の観察や記憶の頼りなさ、いわばデータの信頼性を疑うところから推理を始めている。

 今、歴史認識や原発問題など、自らの信じるデータのみを並べ、声高に自己の正しさを主張する言葉があふれている。しかし、自分は絶対に正しいと思うときほど、人は都合のいいものしか見ていない。自分の依拠するデータも時に疑い、無視していた人の話にも耳を傾けてみる。案外、自分の見ようとしなかった真相に気づけるものだ。


最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    無教養キムタクまたも露呈…ラジオで「故・西田敏行さんは虹の橋を渡った」と発言し物議

  2. 2

    キムタクと9年近く交際も破局…通称“かおりん”を直撃すると

  3. 3

    吉川ひなのだけじゃない! カネ、洗脳…芸能界“毒親”伝説

  4. 4

    大谷翔平の28年ロス五輪出場が困難な「3つの理由」 選手会専務理事と直接会談も“武器”にならず

  5. 5

    竹内結子さん急死 ロケ現場で訃報を聞いたキムタクの慟哭

  1. 6

    ロッテ佐々木朗希は母親と一緒に「米国に行かせろ」の一点張り…繰り広げられる泥沼交渉劇

  2. 7

    木村拓哉"失言3連発"で「地上波から消滅」危機…スポンサーがヒヤヒヤする危なっかしい言動

  3. 8

    Rソックス3A上沢直之に巨人が食いつく…本人はメジャー挑戦続行を明言せず

  4. 9

    9000人をリストラする日産自動車を“買収”するのは三菱商事か、ホンダなのか?

  5. 10

    立花孝志氏『家から出てこいよ』演説にソックリと指摘…大阪市長時代の橋下徹氏「TM演説」の中身と顛末