「一国二制度」が形骸化した香港の今と未来
1997年7月1日、香港がイギリスから中国に返還された。植民地が独立ではなく元の国に返されるという事例は世界的にも稀有であり、しかもレッセフェール(自由放任)の母国である資本主義の極致から、社会主義国家に引き渡されたのである。
これを鄧小平は、香港はこの先50年間資本主義を続けてもよいという「一国二制度」の方便でやってのけた。しかし、返還から20年を経た今、「50年不変」や「高度の自治」という大方針は消え去りつつある。遊川和郎著「香港 返還20年の相克」(日本経済新聞出版社 1800円+税)では、政治の建前とは異なる現実から、香港返還後の姿を浮き彫りにしている。
経済活動の根幹をイギリス系資本に長期間独占されていた香港だが、70年代末から80年代初頭にかけては華人資本による買収が相次ぎ、ここに日本や欧米、東南アジアなどの多様な資本が進出。レッセフェールに基づく優れた投資環境は香港を重層的に発展させ、中国にとっても香港は「金の卵を産む鶏」だった。
しかし、中国国内都市の目覚ましい発展により、中国にとっての香港の役割も低下。上海、北京の経済規模は香港を上回り、2014年には広州も香港を抜いた。こうなると、「一国二制度」の形骸化も加速する。現在、植民地の返還という壮大な実験の結果として見えているのは、「中国で許されないことは香港でも許されない」というシンプルな事実だ。
14年には、香港で起きた学生の民主化要求活動を支持したとして、29人の香港出身の大物俳優や映画監督らを中国本土から締め出す通達が出された。16年には、フランス・ロレアル社の化粧品ブランド「ランコム」が香港で予定していた何韻詩の販売促進コンサートを急きょ中止。「人民日報」系の「環球時報」が何氏を「香港・チベット独立支持者」として批判したためだという。
財界が政治に逆らえないのは仕方のないことだとしても、庶民の怒りや諦めは蓄積し、やがて爆発すると本書。香港の魅力や強みは、中国には存在しない自由という価値観のもとにあったためだ。目覚ましい経済発展を実現した中国だが、体制維持の窮屈さは逆に増している。「一国二制度」の「一国」のあり方が問われている。