真剣勝負の醍醐味が味わえる劇場公開デビュー作
小説であれ映画であれ、新人の作品に接するのは普段以上に気合が入る。そんな真剣勝負のヒリヒリする醍醐味を味わえるのが劇場公開デビュー作で、都内公開中の映画「枝葉のこと」である。監督は二ノ宮隆太郎。主演も二ノ宮隆太郎。要は自作自演なのだが、わざわざ2つ記すのは演出と演技の腕が確かで、お互いが拮抗しているからだ。こういう例は珍しい。
題名は「えだはのこと」と読むらしいが、意味は「枝葉末節」つまり「取るに足りない些事だけ描く」という挑戦状のような決意だろう。
郊外沿線とおぼしい寂れた風景の町にある自動車工場。そこに勤める主人公は周囲に心を開かず、子ども時代の親友も今は遠く、父親を陰気な口調でなじり、女に対しても身勝手で、幼いころからなついてきた親友の母にだけ寡黙な誠意と信頼を寄せている。「事件」というほどのものはなく、どれも大上段に「描く」までもない枝葉のことでありながら、いざそれを劇映画(のそれも長編)として成り立たせるのは難しい。
しかし冒頭の場面から演出の腕は冴え、役者としても屈託を全身にみなぎらせた歩き方ひとつで最後まで緊張を保ってみせる。このあたりが、身辺雑記のようでありながら「小説」の域に達する私小説を思い出させるのである。並み居る現役監督連が賛辞を贈っており、世評では初期の北野武/ビートたけしと比べる声もある。映画の製作者にはこの親友の母(故人)がクレジットされている。そうした現実と作品の微妙な感触は、たとえば私小説作家・川崎長太郎の感じだろうか。
私小説の系譜は長いが、宇野浩二、牧野信一ではさすがに時代が違うし、車谷長吉や西村賢太はあざとさに過ぎる。その点、短編集「鳳仙花」(講談社 1300円+税)は私小説という「身勝手な文学」を貫いた川崎文学の深みにあふれている。 <生井英考>