「そばですよ 立ちそばの世界」平松洋子著
個人が経営する東京の立ち食いそば屋26店舗を巡り歩き、ちゅるるとそばをすすり、店主の話に耳を傾けた一冊。あえて副題を“立ちそば”としたのは、「立ち姿に対する筆者の思いゆえ」とあとがきにある。メニューや値段、地図も添えられガイドブックとしても利用可能だ。
読みどころはなんといっても自分の味をしっかり守る店主それぞれの味わい深いことば。そして、江戸後期から続く和製ファストフードへのリスペクトを胸にそばと対峙する平松洋子さんの、そばをすする音まで聞こえてきそうな描写の気持ちよさ。ピントがぴしりと合ったズームレンズをのぞいているかのように、頭の中に情景が浮かび食べたくてたまらなくなってくる。
平松さんは食のエッセーで名を知られるけれど、飲んだり食べたりするのと同じくらい、食文化に興味があるのだと思う。そのため、味はもちろん仕込みや客層、店主の人柄やその人生にも話が及び、立ち食いそば愛好家がなぜそこに通うのか、読めばなるほどと理解できるのだ。
登場する店の多くは、味だけではなく、それぞれの成り立ちにドラマがある。ラーメンの屋台から商売を始めて立ち食いそばにたどりついた飯田橋の「稲浪」、銀行員が脱サラして開業した虎ノ門の「港屋」、僕が昔からちょくちょく行ってる中野駅前の「かさい」も登場するが、毎日飲んでも飽きない味噌汁を念頭にツユを作っていたなんて思いもよらなかった。
立ち食いそばはあまりにも身近な存在だから、普段それについて考える人は少ないだろう。行くのも馴染みの店ばかりではないだろうか。つまり、この本はすぐそばにある秘境巡りの本でもある。値段は少し張るけど大盛り(写真も多数)で歯ごたえ十分。書店で見かけたら立ち食いならぬ“立ち読み”で、相性を確かめてみて欲しい。
(本の雑誌社 1700円+税)