「私の親鸞」五木寛之著
今年89歳になった著者は、年ごとに迷いが深まってきたという。それは親鸞に対しても同じで、勉強するほどにどんどん遠景に退いてしまうような不思議な感覚がある。
平壌からの引き揚げの際、すさまじい体験をした著者はずっと「許されざる者」という思いを抱きながら生きてきた。それが30歳の頃、「いかなる人といえども、どんなに深い罪を抱いていても救われる」という親鸞の教えに触れ、「この人は自分のことを分かってくれる」という感覚になった。以来、さまざまな形で親鸞という存在を考え続けてきたが、あのとき感じた、温かい手で背中を叩かれたような感覚がない。どこかに温顔の親鸞像はないかと思い続け、ようやく鹿児島の隠れ念仏の里で、かすかにほほ笑んでいるような優しげな表情の親鸞像に出会い、ほっとした──。
これまで封印してきた過酷な引き揚げの記憶と、親鸞と共に歩んだ半世紀を語った半自伝的親鸞論。親鸞が慕った法然の言葉から、親鸞の「教行信証」は、自分の頭の中にあるあらゆる教養と知識を全部掃き出し、身軽になろうとしたものではないか、という推察のほか、暁烏敏、高光大船、清沢満之らとの出会いまで。親鸞の思想を探る。
(新潮社 1485円)