「細野観光 1969-2021」細野晴臣デビュー50周年プロジェクト編
2019年にデビュー50周年を迎えた音楽家、細野晴臣氏。デビュー翌年には、バンド「はっぴいえんど」を結成し、ロックのサウンドと日本語の歌詞を融合して「日本語ロック」の礎を築き、さらに1978年に結成した「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」では、テクノポップサウンドで世界を席巻した。YMO解散後も、作曲やプロデュース、映画音楽など、多彩な活動を続けてきた細野氏の半世紀以上に及ぶ軌跡を、写真をはじめ、ビジュアル年表や寄稿などの豊富な資料とともにたどるビジュアルブック。
戦後間もない1947(昭和22)年、東京都港区で生まれた氏は、こたつに入って真空管ラジオで落語を聴くのが好きな少年だったが、8歳でピアノをはじめ、中学1年でアコースティックギター、そして翌年にはバイトをしてエレキギターを手にして初めてのバンドを組むなど次第に音楽にのめり込んでいく。
高校で結成したフォークグループ「パンプキンズ・フォー」をはじめ、大学時代もさまざまなバンドを結成し、音楽活動を続けていく。
一方で、子供のころから漫画も好きで、いたずら描きが趣味だったという。高校時代には同級生だった西岸良平氏(「三丁目の夕日」の作者)とお互いに漫画を描き合う仲だったという。
少年時代の三輪車に乗った写真をはじめ、幼少期に遊んだ玩具、そして若き日のさまざまなバンド時代の写真などとともに、その当時、西岸氏らと共作して描いた忍者漫画「洞穴」の一部も紹介。
その後、まだ大学生だった1969年、22歳の時にバンド「エイプリル・フール」のベーシストとしてデビューをする。しかし、同バンドは、英国ロック志向と英語詞へのこだわりが強いメンバーと細野氏とドラムを担当していた松本零(松本隆)氏が対立し、バンド名を冠した唯一のアルバムがリリースされたときにはすでに解散が決定していた。この体験が細野氏らに新バンドでの「日本語ロックの新しい表現」を決意させたようだ。
エイプリル・フールの解散翌年、松本氏と音楽仲間として交遊を深めていた大瀧詠一氏、セッションバンドでともに活動していた鈴木茂氏と新たなバンド「はっぴいえんど」を結成し、アルバムデビューを果たす。
海外の著名音楽誌で紹介された「エイプリル・フール」の記事や演奏風景、海外レコーディングのために訪れた「はっぴいえんど」のロサンゼルスでのオフショット、さらに歴代のアルバムのジャケットなど、多くの写真が往時の雰囲気を伝える。
デビュー前の少年時代を前史、そして音楽的到達点に達したことで解散したはっぴいえんどの活動が休止した73年までを「憧憬の音楽」とし、以降、その活動を「楽園の音楽」「東京の音楽」「彼岸の音楽」「記憶の音楽」の5つの年代に分けてたどる。
ページの合間には氏が愛用する楽器の数々や、プライベートスタジオ、さらに創作ノートの一端まで公開。音楽ファン必携の書だ。
(朝日新聞出版 3600円)