「髙田啓二郎画文集 Kの劇場」髙田啓二郎著
1993年、41歳の若さで早逝した著者が残した絵と詩文を編んだ作品集。
とはいっても、その名を知る人は少ないだろう。1951年に東京で生まれた氏は、7歳の頃、小児リウマチに罹患。中学で油絵を始め、進学した高校でも美術部に入り、絵を描くことが日記代わりになっていたという。
その後、病気が進み、進学も就職も断念した氏は、自室でひとり絵筆を握り続けたが、1973年に突然、絵を描くことをやめてしまった。
死後、高校時代の友人らの話から絵の存在を知った遺族が探すと、部屋から3000枚を超える作品と、詩や散文、シナリオなどが書かれたノートが見つかった。
それらをもとに、これまでに何度か遺作展が行われ、本書は初の作品集にあたる。
ページを開くと、人物画が並んでいる。
顔の表情だけを水彩で描いたものから、帽子とコートを着込んだ少年、サーカスの団員のようなステージ衣装を身にまとった少年とも青年ともとれる人物、普段着姿の青年、そして少ないが女性の絵まで。おびただしい数の人物画が続く。
描かれている人物の表情から、感情はうかがえない。すべてが自画像にも見え、ただ氏が抱える苦悩がにじみ出るように伝わってくる。
友人で画家でもある青木伸一氏は、高校時代に出会った髙田氏を「ひどく痩せ細った躰に小児麻痺のように曲がった手足、鉛筆をはさむ指も尖ったコンパスの様で一見して外見は異様な風貌だった。いつも寡黙ではあったが、決して悲観的ではなく普段は明るい青年で、はにかんだような優しい微笑みをしていた」と振り返る。
さらに青木氏は髙田氏の作品について、「運命を嘆き悲しむのではなく、むしろ自らの境遇をそのままに受け入れて、耐えて静かに強く生きている」人々の生きざまを描いていると評す。
一見すると同じように描かれているように見える絵だが、水彩や油彩、パステル、ボールペンやマジックペン、さらに墨など、さまざまな画材を用い、表現を模索し習作を重ねていたようだ。
キャンバスに油彩で描かれた作品はわずかで、多くはわら半紙や、たばこのピースの内箱、さらには封筒や領収書の裏などに描かれ、絵に書き添えられた制作日を見ても、時には1日に何枚も、そして本当に毎日のように絵を描き続けていたことが分かる。
こうした作品群を見ると、ひたすら自分と向き合う日々を想像するが、ある作品は「三里塚闘争」の決起集会への参加を呼び掛けるビラの裏に描かれていたり、かつてナイジェリアの東部州が独立して存在した「ビアフラ共和国」で無差別爆撃が行われた報道を聞いて描いたという作品などもあり、当時の若者の視線も併せ持っていたことをうかがわせる。
「すべての出発はひとりぼっちではじまる」と書き残した氏が抱えていた孤独は、決して病気や若さゆえだけのものではない。誰もが人生に感じる孤独と向き合ったひとりの青年が生きた証しが凝縮した作品集だ。
2月19日から渋谷・Bunkamuraギャラリーで刊行記念展開催。
(求龍堂 3850円)