リトル・リチャードの先駆的人生を描いたドキュメンタリー
ロックンロールの創始者とされる3人の中で演奏がいちばん巧みなのはファッツ・ドミノだが、ステージパフォーマーとしては群を抜いてリトル・リチャードだろう。
今週末封切りの「リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング」はまさしくそれを実感させるドキュメンタリーである。
この映画、まずは黒人芸能史のアーカイブとして素晴らしい。シスター・ローゼタ・サープ、マ・レイニー、ルシール・ボーガンなど断片しか知らない女性歌手の映像や音源が次々と出てきて目と耳がくらみそうになる。なにより彼女らはかっこいい。そして笑いがある。この「笑い」が黒人芸能の要なのだ。
リトル・リチャードはこれらのすべてを彼女らが立つ舞台の袖で吸収した。リズムも、唱法も、笑いも、そしてセクシュアリティーも。
彼はポピュラー音楽の歴史上たぶん初めてゲイを公にした芸人だ。幼いころから自覚があり、それを知った信心深い父は息子を遠ざける。
父に疎まれた記憶は彼を終生さいなみ、人気の絶頂で突如引退して神学校に入るような極端な人生の軌跡も丁寧に描かれる。
さらに映画には音楽学や民俗学の若手が登場し、クィア研究の視点で彼の芸と人生と影響を語る。ビートルズもストーンズもマイケル・ジャクソンもプリンスも、彼の後継者だった。後半になるにつれてLGBTQ文化論の面が強まっていく構成も説得的だ。
ドラァグクイーン系のゲイの笑いや大言壮語の陰には繊細と臆病が裸身で横たえているもの。伏見憲明の小説「百年の憂鬱」(ポット出版 1650円)の一節を思い出す。
「皮肉を付け加えないと気が済まないのは、年配の同性愛者の宿痾のようなものだ。彼らは猜疑心に骨の髄まで冒され、なかなか人を寄せつけようとしない」 <生井英考>