スペインの巨匠、ビクトル・エリセの31年ぶりの新作
「瞳をとじて」
映画は20世紀で終わったという説がある。映画用フィルムの登場が19世紀末。それから1世紀後にデジタル化でフィルムが淘汰され、いまでは大半の映画館がDCP(デジタル・シネマ・パッケージ)に置き換わっている。それだとごくわずかながら光の質が変わってしまうのだ。
そんな“映画の終わった”あとの時代に31年ぶりに舞い戻ったのがビクトル・エリセ。かつて「ミツバチのささやき」や「マルメロの陽光」で至芸を見せたスペインの監督の新作が、先週末から公開中の「瞳をとじて」である。
この映画、ぜひ予告編など見ずに劇場に行ってもらいたい。冒頭のシーンがなんとも魅力的で、一体なにが始まるんだと胸が騒ぐからだ。
心ならずも探偵の真似事をするはめになった男が人を探す。フィルムノワールの定型だが、それが決まり通りに進まないのもまた定型。その逸脱ぶりがちょっとばかりあざとくて、エリセの作品歴だと「ミツバチ──」の系列に連なることが分かる。現にあの映画ですべての観客の心をとらえたかつての幼女が、ここにも顔を見せる。
映画は本質が見せ物だからどんなに芸術ぶっても必ず地金が出る。その点、見せ物の骨法を巧みにおさえて外さないのがエリセなのだ。
一見平易な言葉づかいであらすじになど一切触れないのに、その映画の胸騒ぎのほどを伝えて余すところなかったのが故・中井英夫である。1984年に1冊にまとまった随想集「月蝕領映画館」はいわゆる「のてっ子」(山の手育ち)の映画狂らしい含羞と純情とへそ曲がりが融け合った楽しい読みものだったが、あいにく絶版のまま。
ならば代表作「虚無への供物」(講談社 上下各880円)を挙げよう。ふたつ併せ読むと世評高い耽美派ぶりが、まさしく見せ物だったことがよく分かる。 <生井英考>