美談抜きで商業映画の水準にあるお気楽自主映画
「侍タイムスリッパー」
暑い。なんといっても暑い。何も考えずアタマをからっぽにできる暑気払いはないものか、と心が動く。
今週末封切りの「侍タイムスリッパー」は題名からしてお気楽映画の気配十分だ。
幕末、長州侍と刃を交えた会津藩士が落雷に打たれ、気づくと現代の京都。ただし東映京都撮影所のど真ん中というのが物語の始まりだ。
型通りのタイムスリップものだが、ユニークなのは安田淳一監督が脚本から照明・編集ほかを1人で兼ねる自主映画であること。本業は結婚式や企業広報などの映像制作だそうだが撮影所とは無縁。自主作品を成功させ、念願のチャンバラ時代劇に向かう矢先にコロナ禍。たまたま東映京都撮影所の協力で実現にこぎつけたというのである。
かくて自主映画のロケ隊10人が時代劇の総本山で七転八倒。それを殺陣師から衣装や床山、ベテラン照明マンまでが手助けしたという。
とはいえそんな美談がなくとも本作は十分に商業映画の水準にある。主演の会津藩士役・山口馬木也もふだん脇役専門らしいたたずまいで物語を落ち着かせ、監督は昔なら撮影所で脚本書きから叩き上げただろう手腕の持ち主だ。
タイムスリップという趣向は1970年代、近代社会の行き詰まりが指摘される時代相のもとで流行になった。その先駆けが広瀬正著「マイナス・ゼロ」(集英社 1012円)。青年が戦前の東京にタイムスリップし、そのまま年老いて元の時代へいきつく。その静かな描写が、絶妙の文明批判でもあった。
筆者は最初の単行本で読んだが、職業作家とは微妙に違ういい意味で素人っぽさの残る清潔な文章を覚えている。タイムスリップものは安直な現代批判やノスタルジー演出に傾きがちだが、わかりきった受け狙いに走らないことが作品を長持ちさせることを体現した稀有な小説でもある。 〈生井英考〉