「ごちそうさん」の小姑・キムラ緑子が語る「アラレちゃんメガネ」時代
同志社のある京都は、優しい大人がたくさんいる街で、1000円やそこらで若者が一晩飲めてご飯も食べられる店がありました。今考えると、店の人が大学の教授や大人たちから多めにいただいて、帳尻合わせていたんだと思いますけど。当時は何も考えてないから「安くていい店」だと思って、毎晩稽古を終えると朝まで飲んで語っていましたね。
この写真の頃にバイトしていたカレーショップ「ビィヤント」さんも優しくしていただきました。公演前はセリフを言いながら仕込みをしていても怒られないし、公演前で出勤が減ると、心配して時給を上げてくれた。そんなありがたい環境のおかげで20代は芝居だけ続けることができたんです。
80年代の関西は、辰巳琢郎さんが主宰していた京大のそとばこまち、大阪の劇団☆新感線があって盛り上がっていた。関西で同時期に「熱海殺人事件」を演じるなんていう企画公演もありましたね。私はつかこうへいさんに憧れて、夜行バスで新宿に行き、つかさんの「熱海殺人事件」を見て、こっそりカセットテープに録音し、帰りのバスでそれを何度も聞く。京都に着く頃には完全コピーしていました。