名物レポーターも誕生「芸能メディア」は戦国時代に突入
芸能ニュースを語るのに欠かせないのがワイドショーの存在だ。そのルーツは1964年にスタートした日本教育テレビ(現・テレ朝)の「モーニングショー」だった。当日の芸能記事を紹介するだけだったが、主婦の関心は高かった。翌年には同局で「アフタヌーンショー」を開始。視聴率不毛地帯と呼ばれた時間帯を開拓する先駆者的な番組になった。
フジの「小川宏ショー」、2年後には日テレが「2時ですこんにちは」と続き、朝、昼とワイドショーがテレビ界を席巻するようになった。
「主婦は政治や経済よりも関心を持つのは芸能人。熱愛や結婚は誰にもわかりやすく単純。女性誌が芸能を多く取り上げていたことから、テレビも着手し、芸能に精通したスタッフを置くようになった」(元テレビ局員)
スタッフのなかにはスポーツ紙や週刊誌から転身する者もいたがテレビに出て直接、解説できる人が必要となった。
1976年に「アフタヌーンショー」が初めて芸能リポーターとして「ヤングレディ」の記者だった梨元勝(故人)を起用した。