「女らしさの神話」ベティ・フリーダン著 荻野美穂訳
「女らしさの神話」ベティ・フリーダン著 荻野美穂訳
1950年代末から60年代にかけて、「うちのママは世界一」や「パパは何でも知っている」といったアメリカのホームドラマが日本でも放映されていた。そこで描き出されるのは、理解のある父親と一家を支えるしっかり者の母親、そしてのびのびと暮らす子どもたちという理想的な家族のスタイルだった。しかし、あの明るい母親の笑顔の裏には深刻な問題が潜んでいた──。
50年代末の米国では、女性に高い教育を受けさせることの弊害が議論されていた。子どもを育てながらフリーランスで女性誌などのライターをしていた著者は、同窓生を対象にアンケート調査を行い、この論の反証を示そうとした。そこで明らかになったのは、一見幸せそうな主婦たちの間に原因不明の苛立ちや疲労感が広がっていたことだ。
この「名前のない問題」の原因は、アメリカ女性にとっての理想は「主婦で母親であること」という「女らしさの神話」だった。それによって成長する個人としての女性というイメージは砕けてしまい、多くの女性が自らの生きがいを喪失してしまったのだ。
アメリカというとフェミニズムの先進国といったイメージがあるが、50年代末には女性の平均結婚年齢は20歳まで低下、大学に通う女性の割合は20年の47%から35%に低下、大学入学者の60%が結婚のため、あるいは教育を受けすぎると結婚の障害になることを恐れて中退した。
「結婚し、4人の子どもを持ち、郊外のすてきな家に住む」という「女らしさの神話」を陰に陽に押しつけられ、女性が自立して生きていく道を閉ざされた。その結果多くの女性が深刻な精神疾患に陥っていることを告発した本書は、63年の刊行後大反響を呼び、20世紀フェミニズムの記念碑的労作となった。今回初の全訳がなされたが、60年を経ても強い訴えは失われていない。今こそ読まれるべき本だ。 〈狸〉
(岩波書店 上巻1507円 下巻1353円)