2度も生かされて…空間デザイナー黒田朋子さん闘病を独白
確かに、同意書の最後に「不妊」の文字があります。ただ、私も家族もサインする時は「生きられるのか?」状態だったので、目には入ったけれど心に留まらずだったんです。病気が治っても子供が産めないのなら……と、自分の存在意義さえも問い始めました。
生殖医療も行う同病院で何とか将来の妊娠の可能性を残す方法はないのか、担当医に伝えたのですが、取り合ってもらえません。そこで、卵子凍結などを行う専門クリニックを自分で探し、コンタクトを取りました。本来なら1クール後の一時退院は7日間でした。
しかし、採卵して卵子凍結をするため21日間の一時退院をしました。もちろん担当医からお墨付きはもらえず、実際、2クール目には数値が悪化しました。
でも、その選択をしたことで「やれることはやった」となぜかすがすがしい気持ちになれました。むしろ、たった一つでも卵子凍結できたことで、人生に希望が持て、前向きに闘病できる気になったんです。
■3年後に再発がわかり…
それから5クールの抗がん剤治療を経て、骨髄移植を行いました。“生かされている”人生のありがたさや重みに気づきましたね。その後、退院許可が下りて帰宅したのですが、一日に20~30回もの下痢や腹痛に見舞われ、再入院することになりました。胃や小腸、大腸の粘膜がほぼ剥がれ落ち、口内炎も口いっぱいに広がって、合併症が始まっていたのです。