すべての病院で「厳しい」と言われ…格闘家の高須将大さん肝臓がんとの苦闘
高須将大さん(格闘家/29歳)=肝臓がん
2017年、1回目の手術前はがんの知識がほとんどなかったので、腫瘍を取れば治るものだと思っていました。でも、そこから約2年半の間に再発と転移を繰り返し、肝臓の開腹手術2回、抗がん剤治療2回、肺の手術2回を経験しました。「余命宣告」もありましたけど、自分には格闘技があって、応援してくれる人の声があったから今があると思います。
病気がわかったきっかけは、試合に向けてスパーリングしていたとき、お腹を蹴られて、その痛みが2~3日とれなかったことです。当時、重機会社に勤めていて、現場で重い資材を運んだりしていたのですが、仕事にならないくらい痛かったので上司に相談して会社の診療所に行きました。
自分ではあばら骨が折れていると思ったのです。でも触診してもらったら、あばら骨は平気で、その付近のお腹を触られたときに痛みがありました。エコー検査をしてみると、「肝臓に大きな影があります」と言われ、大きな病院を紹介され、翌日受診すると「10センチ超えの肝臓がんです」と告げられました。
自分ががんになるとは思っていなかったので驚きましたし、何より試合のことが気になりました。「キャンセルするしかないのか」などと考えながら、ちょっと現実を受け止められず、なんだか他人事のようでした。
病状はかなり危険な状態で、2週間後には開腹手術をしていました。肝臓の2分の1以上を切除する手術で、朝から始まって終わったのは夕方。お腹には20センチ以上の縦と横のキズが残りました。
手術の麻酔から目覚めたらかなり地獄で、傷口が痛いのはもちろん、悪寒がすごくて震えが止まりません。毛布をかけてもらったら今度は手術による発熱で熱くなって、訳のわからない状態でした。苦痛で夜も眠れず、何より喉の渇きで口の中がパサパサだったのがつらかった。しかも水を飲んだらダメってことで、3~4日何も飲めませんでした。
再発に加え肺への転移も見つかった
退院したのは約2週間後でした。「これで治ったから早く復帰してやろう」とトレーニングを始めた頃、術後1回目の検診で再発が見つかりました。肝臓の複数箇所に腫瘍があって、もう手術はできないとのこと。セカンドオピニオンで3~4カ所の病院に行きましたが、そのすべてで「厳しい状態」と言われました。このタイミングで肺への転移も見つかったので、思えばこの頃が一番きつかった。それでも、肝臓がんに特化した病院に移って抗がん剤治療をすることにしました。
治療は、がん細胞に栄養が行かないように血流を詰まらせる「肝動脈化学塞栓療法」と、腫瘍に直接高濃度の抗がん剤を注入する「肝動注化学療法」でした。1回2週間の入院を、間隔を空けて4~5回やりました。副作用として高熱が出ましたが、抗がん剤治療でよく聞くような嘔吐や脱毛などはありませんでした。
終わったのは18年3月末で、しばらく経過観察となりました。実はこのとき並行して全身の抗がん剤の服用もしました。でも、アレルギー反応で高熱と発疹が出たので1カ月ほどで早々にやめましたけど。
同じ年の8月に試合に出て勝利したあと、9月にはずっと様子見をしていた肺の治療で「ラジオ波焼灼術」という手術をしに兵庫県まで行きました。腫瘍の中に電極針を刺してラジオ波電流を流し、がん細胞を死滅させる手術で、もともとは肝臓がん治療として用いられたもので、肺への手術ができるのは限られた病院だけだったのです。
その2カ月後の11月に、抗がん剤で死滅させた肝臓の腫瘍の残骸を取るために再び開腹手術をしました。またしばらく経過観察になったので19年5月と8月に試合に出まして、どちらも勝利することができました。
ところが9月には肺の再発が見つかり、再び兵庫でラジオ波焼灼術をしました。そのとき肝臓にも再発が見つかって、11月に東京の病院でまた肝動脈化学塞栓療法と肝動注化学療法をしました。おかげさまでそれを最後に再発・転移はなく、現在は薬も飲んでいません。3カ月に1度検診に行っているだけです。食事制限もなければ、運動制限もなく普通の人です。
病気をしたからといって生活を変えるとか、特別するようになったことはありません。以前と同じように格闘技をしています。ただひとつだけ変わったことがあるとすれば、このパーソナルジムを始めたことです。病気をしたことで「やりたいことをやろう」という思いと、「挑戦をし続けよう」という思いが強くなり、収入の安定した会社を辞めて、ずっとやりたいと思っていたことに一歩踏み出せたのです。
もちろん自分だけの力ではありません。常々思ってきましたけれど、改めて自分は周りの人に恵まれていると再確認し、感謝しています。
(聞き手=松永詠美子)
▽高須将大(たかす・しょうた) 1993年、茨城県生まれ。現在パラエストラ柏所属。高校卒業後に重機会社に勤務。20歳で格闘技道場「ストライプル茨城」に入門し、2016年11月に総合格闘技団体「ZST」でデビュー。24歳でがんが見つかるも格闘技を続け、優秀な戦績を収めている。今年4月、パーソナルジム「A-studioCliff」(東京・秋葉原)を開設し、代表を務めている。
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