盛山文科相は「記憶力」抜群? 過去には半世紀以上前の出来事を鮮明に記憶とスラスラ答弁
■中学2年時の担任の発言をしっかり「記憶」していた
「記憶にない」を連発する盛山氏だが、過去の国会答弁を振り返ると、実はそれほど記憶力は悪くないようだ。
2015年6月10日の衆院「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」で質問に立った盛山氏は幼少期を振り返り、こう発言している。
「第2次世界大戦で我が国は焼け野原となりました。(略)昭和31年の経済白書にもはや戦後ではないと記述されましたけれども、子供心の私の記憶では、昭和30年代前半の私の周りの人々の生活は大変貧しいものでありました」
さらに2007年4月13日の衆院災害対策特別委員会では、1995年1月に発生した阪神大震災を振り返り、「12年前の1月、寒いころでございましたけれども(略)体育館、仮設の住宅その他で、これから先どうなるかと心配しながら眠れない一夜を過ごしていた、そういう方が多かったというふうに記憶しております」と言い、2022年9月8日の衆院議院運営委員会では、安倍元首相の国葬を取り上げてこう述べていた。