タカショー 高岡伸夫社長(1)和歌山から世界を目指すガーデンライフメーカー
■GSに傾倒して歌手デビューも仕事ナシ
「こんなことはやるまいと思って、ギターを持って出ていったんですよ」と笑いながら話す高岡氏。青春時代を過ごした70年代は、まさにフォークソングブーム。高岡氏もその影響でグループサウンズに傾倒した。グループをつくり、プロダクションのオーディションを受けたのである。そして、見事、合格を勝ち取り、「水色の翼」という名で、“芸能人”としてデビューした。
「プロに入って何か仕事あるのかなって思ったら全くなかったんですよ。天童よしみさんや五木ひろしさんら、当時大人気番組だった『全日本歌謡選手権』にも出場したことがあります。そこそこいいところまでいったのですが、当時、妻とも付き合っていたので、飯を食っていかなければならない。もう、これはまずいなと」
後のタカショーの創業メンバーとなる、妻の淳子さんと生活していくためにも、高岡氏は東京の金物商社に就職する。
■東京の一極集中型に疑問を抱く