大正製薬HD(下)「国際派」の4代目・上原茂氏がグループの真のオーナーへ
12年に36歳の若さで大正製薬の社長に就任した茂氏は、一般用医薬品(大衆薬)を仕切り、大正製薬グループのプリンスとして、HDの後継社長になることは既定の路線だった。
“皇太子”時代(子会社の社長)が長かったのは、明氏の一族はオーナー家の一員だが、大株主ではなかったからだ。
上原正吉氏は1964年に長者番付日本一に輝いた大富豪として知られる。「ファイト・一発!」のCMでおなじみの「リポビタンD」をヒットさせたこともあって大正製薬の創業者が上原正吉氏だと思っている人は多いようだが、実は違う。
■名は「上原」、血は「土屋」
大正製薬HDの前身は12(大正元)年、石井絹治郎氏が創業し、初代社長を務めた大正製薬所だ。新聞広告を見て丁稚奉公に入ったのが正吉氏。正吉氏の大正製薬との出合いはここから始まる。創業者の絹治郎氏に引き立てられた正吉氏は出世の階段を駆け上った。
戦時中の43(昭和18)年、絹治郎氏が亡くなり、息子の石井輝司氏が2代目社長として後を継ぎ、正吉氏は専務に就いた。正吉氏が大正製薬所の社長になったのは敗戦直後の46(昭和21)年である。創業家の石井家と社長の座をめぐって確執はあったが、最後は、株主総会で決着をつけ、正吉氏が3代目社長の椅子に座った。