ダイハツ工業(上)品質不正は64車種に…なぜトヨタグループでこうした不正が続発するのか
ダイハツとトヨタの関係はどのように深化したのか。
ダイハツの歴史は古い。初の国産エンジンを開発する目的で大阪高等工業学校(大阪大学工学部の前身)の技術者たちが1907(明治40)年、発動機製造株式会社を創立したのがルーツだ。本社工場がある大阪府池田市に自動車工場ができたのは38(昭和13)年のこと。戦後の51年にダイハツ工業株式会社に社名変更した。
トヨタとの関係は、67年に業務提携したことに始まる。98年、トヨタが子会社にした。2016年に完全子会社となり、多数の幹部がトヨタから送り込まれた。
不正が認定された1989年以降のダイハツの歴代会長・社長12人のうち8人がトヨタの出身者だ。
2005~11年6月、会長を務めた白水宏典氏の時代に、低燃費・低コストのコンパクトカーを短期開発で仕上げ、この手法で収益を上げるビジネスモデルが確立した。第三者委は「11年に発売したミライースの成功で無理な短期開発が定着し、そのプレッシャーが従業員を追い込んだ」と問題点をえぐり出した。
白水氏は「白水天皇」とまで呼ばれるほどのダイハツの最高権力者になっていた。
「白水天皇」とは何者か。=つづく