浅草橋でレッスンプロ 元巨人・簑田浩二のセカンドライフ
週1のレッスン、給料なんてタカが知れているだろう。
「おっしゃる通り、ハハハ。ただ、娘はもう嫁ぎ、息子は独立して会社勤めしてる。カミさんと2人だけだし、目黒の我が家は持ち家。厚生年金もらって、悠々自適とはいかないまでも、贅沢(ぜいたく)しなきゃどうにかやっていけるよ」
76年、ドラフト2位で阪急に入団。83年に打率3割1分2厘、32本塁打、35盗塁の“トリプル3”を記録。また、80年には31本塁打、39盗塁、31犠打をマーク。過去、プロ野球でこうした“トリプル3”を達成したのは簑田さんしかいない。まさに玄人好みの選手だったが、先輩の福本豊に隠れて地味な存在だった。
「向こうは年齢も実力も上手さ。契約更改のとき、フロントに永久に抜けないっていわれたよ。最高年俸は4000万円だったかなあ。自分としては阪急で引退したかった。ところが、87年のシーズン終了後、巨人にトレードに出された。なんて冷たい球団だと恨みに思ったこともあったね」
■「球団からは日本テレビと報知新聞で解説しないかって声がかかったんだよ。でも、クビにしといて…」