「悲しい…」 PL学園OB橋本清氏が母校の最後を見届け手記
悔しい、悲しい。今の思いはそれだけです。85年にPL学園に入学した私は、野球部の「研志寮」で2学年上の清原和博さん(48)と同部屋になりました。4人部屋だった当時の寮は8畳1部屋に3年生2人、2年生1人、1年生1人の部屋割り。部屋では常に正座で、清原さんに「ラクにしてええよ」と言われて、初めて体育座りができるという生活でした。1年生の起床は朝5時半。目覚まし時計は、かけてはいけませんでした。7時半に起床する先輩をその前に起こしてはいけないというのが理由です。
洗濯や掃除、布団の上げ下げなど先輩の身の回りの世話をしながら、練習をする日々。正直、逃げ出そうと思ったことは一度や二度じゃありませんでした。でも、礼儀や自立など大事なことを学んだのは事実です。
平成に入って部内暴力事件が相次ぎ、行き過ぎた上下関係が批判されました。それが今回の休部の引き金になってしまいました。
もちろん暴力は許されません。しかし、問題があるならそれを改善して、野球部を続けていく選択肢もあったはずです。そういう前向きな議論がなく、廃部ありきという印象。それが、悔しく、悲しいのです。