羽生結弦が危機感 男子フィギュアの仁義なき“4回転戦争”
■きっかけはプルシェンコの銀メダル
4回転ジャンプ過熱の発端は2010年バンクーバー五輪。3回転ジャンプの成功を積み重ねて金メダルを獲得した選手に、4回転にトライして銀に終わったプルシェンコ(ロシア)が「今のままでは進歩がなくなる」と噛みついた。これをきっかけに、基礎点を上げて減点幅を減らすことで、「チャレンジ精神を買う」というシステムに変更。技術の向上が促進されるのと同時に、優勝するためには高い技術と精度の底上げが不可欠となった。加えて、同じ種類のジャンプをコンビネーションで跳ぶと2回目は点数が70%に減らされるという規定から、基礎点の高い4回転を多種類跳ぶことが点数を稼ぐ「近道」なのだ。
残るは、誰もなし得ていない4回転半(アクセル)のみ。羽生は昨年12月のGPファイナル優勝後、4回転アクセルについて聞かれると、「スケートを始めた時から4回転半ジャンプを跳ぶのが夢だった」と答えている。
その「夢」をかなえるのは羽生かチェンか。仁義なき4回転戦争はとどまるところを知らない。