ケガを抱えても無理を 清宮の強メンタルがプロではアダに
清宮幸太郎は早実時代、試合をほとんど休まなかった。
3年間の公式戦は計70試合、練習試合を含めて198試合を行い、欠場はたったの2試合。ほぼ全試合を、「古傷」を抱えながらプレーし続けた。
投手だった小学時代に右肩を痛め、中2の冬には腰を疲労骨折したこともある。
1年夏の甲子園、九国大付戦の第1打席で、胸元の厳しい球を打った衝撃で左手親指を骨折。それでも直後に行われたU18、国体は強行出場し、そのU18では左膝も痛めた。
高2のときはかつて痛めた右肩痛が再発したこともあり、センターへのコンバートを断念。古傷が多い分、清宮はしばしば治療院に通うなど体のケアにも時間を割いた。
■「テーピングで大丈夫」
その一方で、多少のケガをモノともしないメンタリティーがある。
中学時代に腰の骨を折った際、腰の別の箇所に骨折痕が見つかった。医師は自然治癒していると診断したという。骨折に気づかぬまま野球を続けていたことになる。