サラリーの条件は韓国と日本ではそんなに変わらなかった
そこで「日本との契約も決まっているから無理です」と断りました。私は子供が2人います。日本でインターナショナルスクールに通っていて、まだ卒業していないため、「ワイフ(妻)が子供の教育第一なので、いま韓国に戻るのは厳しいです」とも話しました。会長は「家に帰ったらワイフとしっかり話してみて」と熱心で、「11月にもう一回電話するから!」とプレッシャーもかけられました。11月になって本当に電話がきて、「どう? ワイフと相談した?」と。ハイ……とゴニョゴニョ言うことしかできず、結局、日本協会の契約発表を韓国のメディアが報道して、それを見た会長はさすがにギブアップしていました。
去年12月、韓国で試合があったとき、「すみませんでした」と言ったら、「また次のチャンスがあればね」と言われました。(来日前に監督を務めていた)マレーシアからも連絡が来ましたよ。でも、私は日本で教えていて楽しかったし、次の五輪が東京ですからね。それがなかったら、ちょっと(気持ちも)変わっていたかもしれない。東京の後は子供も卒業しているし、断る理由ができないですね(笑い)。ミニマム(最低)、リオ以上の成績が求められるので、東京でメダルが取れなければ、私もクビかもしれないですし。