星野・野村の薫陶受け…矢野燿大「虎指揮官」までの凸凹道
「矢野という男は、不遇や逆境に耐えてきたからこそ、今がある」
古株の阪神OBが言う。
第34代阪神監督に就任する矢野燿大監督(49)。03年、05年の優勝メンバーとして活躍。金本知憲前監督の腹心として、16年から一軍コーチを2年務め、今年からは二軍監督に就任。ウエスタンでリーグ優勝、日本一を果たした。
生まれは大阪の下町・瓜破(平野区)。大阪市立桜宮高、東北福祉大を経て、90年のドラフト2位で中日に入団。しかし、正捕手だった中村武志という「壁」を崩せず、97年オフに阪神へトレードされる。
■阪神トレードは“捨て駒”
当時の阪神は正捕手育成が急務。だが、それまでに実力、経験がある捕手が必要だった。吉田義男監督が欲しかったのは中村武志。しかし中日側は「中村は出せない、ならば矢野で」と回答。当時の星野仙一監督から「捨て駒」にされたのである。トレードが決まっても「闘将」からは言葉をかけられず、悔し涙を流した。「絶対に星野さんを見返す」と、新天地で決意を新たにした。