オリ1位・太田椋 父から受け継いだ選球眼と一流選手の長所
オリックスの打撃投手を務める父親の暁さん(47)は、30年近く経ったいまでも近鉄時代のプロ初打席を鮮明に記憶している。
91年5月4日。ビジターの西武戦の九回表、中根仁の代打で打席へ。抑えエースの潮崎から四球を選んだ。
「緊張し過ぎたせいなのかどうか、ボールがすごくよく見えたことを覚えています。シンカーもよく見えた。最後はインコース低めのストレートでした」(暁さん)
京都府出身。帝京五(愛媛)から88年のドラフト6位で近鉄に入団。高校時代は投手で、投げないときは一塁や外野を守ったが、プロ入りと同時に内野手に転向することになった。
8年間の現役生活で一軍出場は計3試合。そのうちの1試合だから覚えていて当然かもしれないが、中でも四球で出塁した打席が強烈な印象として残っているのは理由がありそうだ。
「近鉄は当時、選手層が厚く、なかなかチャンスが回ってきませんでしたけど、太田は選球眼が良かったし、野球センスもあった。それに2人とも心が強い。そのあたりは息子が受け継いでいるのかもしれません」と言うのは近鉄で暁さんの2年先輩の内野手だった中村良二現天理高監督。「息子」とは暁さんの次男で、先のドラフトでオリックスに1位指名された太田椋(内野手・17歳・天理高)のことだ。