“バッハ会談”に政治家ズラリ JOC山下会長はなぜ蚊帳の外?
モスクワ五輪ボイコットは、1979年12月にソ連(現ロシア)のアフガニスタンへの軍事侵攻がきっかけだった。激しく抗議した米国のカーター大統領が西側諸国にモスクワ五輪のボイコットを呼びかけ、日本政府もそれに追随。山下会長は「幻の代表」になった。
当時のJOCは日本体育協会(現日本スポーツ協会)内のひとつの委員会に過ぎなかった。体協は国から強化費や派遣費用などを受け取っていたので、財源を握る政府の意向には逆らえなかった。
■「モスクワ」以上の関係に
「五輪代表が政治に翻弄された悲劇です。それを繰り返さないために、JOCは体協から独立した。今はあの時よりも、国への依存度が高まっている。五輪や国際大会に出場する選手のために建設されたナショナルトレーニングセンターには多額の税金を投入。東京五輪の強化費だけでも毎年100億円前後の予算が計上されている。
政府にソッポを向かれたら、各競技団体は五輪で活躍できる選手を育てることができない。密接な上下関係が築かれているので、政治家もスポーツ団体の幹部をバカにしている。だからIOC委員でもある山下会長をバッハ会談に同席させるという発想が、安倍首相や組織委員会の森会長にはない。この国のスポーツ界は40年前、否、終戦直後から何も変わっていないことが改めてわかった」(前出の津田氏)