陸上・新宅雅也氏「出場していたらメダル取れていたかも」
私は前年の日本選手権3000メートル障害で3連覇を達成。代表の有力候補でした。もちろんオリンピックには出たかった。でも、大学を卒業したばかりで若かったこともあり、「4年後がある」と、気持ちの切り替えは早かったですね。
「幻の代表」になったのはボイコット決定の1週間後。5月31日の代表選考会です。私は3000メートル障害に優勝。5000メートルも制し2種目の代表に内定しました。
五輪不参加なのに代表選考会なんてやっても意味がないと思うでしょうが、陸連は当初の派遣枠である18代表を決めて、日本オリンピック委員会に名簿を提出するためと聞きました。
■北海道に「隔離」
6月10日すぎに陸連の理事会で正式に五輪代表になるわけですが、選考会が終わって、代々木の競技場で練習していた時でした。
中村監督は突然、「北海道へ行け」というのです。ボイコットしたモスクワ五輪の代表に内定している私たちをマスコミから遠ざけるためでした。6月6日に北海道に入り、いつも合宿を行っている常呂町(現・北見市)でしばらくの間トレーニングしていました。