元世界チャンプ川嶋勝重さん リングを離れてリング職人に
一度は就職も家出同然でボクシングの世界に
74年10月6日、千葉県市原市生まれ。ボクシングを始めたのは21歳、プロデビューは22歳で世界王座に就いたのは29歳。遅咲きである。
「高校時代の部活は野球部でしたし、卒業後はいったん半導体関係の会社に就職してるんです。きっかけ? 小・中と同級生だった友人が先にボクシングをはじめ、デビュー戦を観戦したことですね。試合にこそ負けたんですが、とにかくカッコ良かった。両親や会社の上司にも猛反対され、バッグひとつ持って家出同然で横浜に引っ越しました」
それが95年。だが所属した大橋ボクシングジムではあまり評価されず、なかなかプロテストを受けさせてもらえなかった。
「今、4回戦時代の動画を見ると、笑っちゃうくらい下手なんです。プロテストまで時間がかかったのはしょうがないですね」
だが、元2冠世界王者・大橋秀行会長が「努力の天才」「気迫なら右に出るものはいない」と感嘆するほど練習に熱心に取り組み、02年4月に日本スーパーフライ級王者に。そして03年6月、WBC世界スーパーフライ級王者の徳山昌守に挑み12回判定負けしたものの、翌04年6月28日、再挑戦。1ラウンド1分47秒、TKOで勝利を収め、王座を奪取した。
「まさかチャンプになれるとは本当に思ってなかったので、勝った瞬間、夢じゃないかと。アハハハハ」
その後は2度防衛し、05年7月、3度目の徳山戦に判定負け。以降2回、世界戦に挑戦したが、いずれも返り咲きにいたらず、08年1月に引退した。
「ベストバウトは2回目の防衛戦、米国の技巧派、ホセ・ナバーロとの試合です。僕は顔面を3カ所カットしてしまい、特に左まぶたの出血が酷かった。ドクターストップになる前に決着をつけようと打ち合いを挑んだら、ナバーロは応じてくれたんですよ。なんとか判定勝ちを収められましたが、彼が打ち合いを避けて逃げ切ってたら負けてたかもしれない。挑戦者らしい心意気がうれしかったですね」
ショップは来年3月、20周年を迎える。
(取材・文=高鍬真之)