ID野球の波にのまれ…プロ球界で策士と異能の人が消える日
プロ野球のドラフト会議で指名された選手と各球団の交渉が進んでいる。
過去には指名されながらも入団を拒否する選手がいた。今季限りで阪神から自由契約になった福留孝介選手もそうだ。
1995年のドラフト会議。福留(PL学園)は史上最多の7球団が1位指名し、近鉄(現オリックス・ブルーウエーブ)が指名権を獲得した。しかし、福留は「中日か巨人以外は社会人野球の日本生命に行く」と入団を拒否。3度目の交渉の場で、近鉄は「入団後3年後にトレードに応じる」との条件で説得した。
野球協約142条によると、移籍を条件にした新人選手の入団交渉は禁じられている。筑間社長が交渉の中身を明かしたため、報道陣から協約違反を指摘する声が上がり、大きく報じられた。その後、プロ野球コミッショナー事務局が調査に乗り出し、近鉄は交渉を断念。謝罪に追い込まれた。
実はこれには「仕掛け人」がいた。近鉄フロントの故・井上浩一氏だ。当時の経緯をこう振り返っていた。
「どうしても福留選手が欲しいというので、窮余の策として思いついた。入団してさえくれれば、近鉄の良さも分かってくれる。長くプレーしてくれる、という思いも球団にはあった。社長には交渉の中身は絶対に口外しないように念を押した。ただ、交渉後についうっかり喋ってしまったようだ」